返報性の法則で失敗する理由

スポンサーリンク

あなたは、他人の優しさが怖い、もしくは素直に受け取れない、という悩みはありますか?

心の中では求めていても、目の前に出されると、辞退してしまうようなことはありませんか?

これは、返報性の法則と関係しているかもしれません。

返報性の法則とは、何かをやってあげたことに対して、お返しをしたくなる気持ちのことです。

つまり、過去にそのやり取りの中で、心に傷がついた、もしくは、すごく理不尽な思いをした可能性などが、考えられます。

先日、世話してやった、という動画を出しましたが、世話をしてやったんだから、と言われても、どうしてもお返しをしたくない、また、したあとにとても気分が悪いならば、きっとそこには、不信感があったからだと思います。

なぜ、不信感が生まれるのか?

それは、順番が逆だからではないでしょうか。

本来なら、見返りを求めない行為によって、私たちは感動し、勇気をもらい、ここに居て良いのだ、という安心をもらいます。

でも、世間でよく使われている、返報性の法則は、最初に、提供する側の要求があり、そのための手段として、優しさとか、世話などが使われる場合があるのです。

つまり、無償の愛などではなく、また、あなたの成長や自己実現を願ったものではない、ということに、気づいたからこそ、気分が悪いのです。

そんなやりとりにうんざりして、他者が同じようなかかわりをしてきた場合、防衛反応が出るのではないでしょうか。

私は、返報性の法則は、ある意味、人を操作するための方法だと思っています。

もし、これを使っていたり、使われているとしたら、今は良くても、いつか、大きな壁に、ぶちあたる気がします。

なぜなら、返報性の法則の多くは、さっきも言ったように、何かを先に与えることで、人を操作するためのものだからです。

これは、たとえ悪気がなくても、という前提があると思います。

よくコメントでもいただきますが、求めてないものを押し付けられた経験は、多いようです。

これも、さっき言ったように、その先の感謝や恩返しなどの、見返りが前提だからこそ、押し付けだと感じるのです。

でも、人はこのような操作的な手法によって、心が動くものではありません。

心というと、ややこしいですが、このようなかかわりによって、たとえ罪悪感が出てきたとしても、本当の感謝の気持ち、そして、本当にお返しをしたい気持ちが、出てくることはないでしょう。

ただ、どこかであなたも返報性を使っているなら、お互い様ということになります。

また、これが当たり前になりすぎて、誰にも理解してもらえない、というジレンマに悩む人も多いです。

でも、私は、ここが踏ん張りどきで、多くの人たちの価値観による圧力に、負けてはいけないと思ってます。

今日は、この辺を考えていきたいと思います。

前半は、

返報性の法則を使う理由、です。

後半は、

私たちが本当に求めているもの、です。

・・・続きは動画でどうぞ!

【動画内でご紹介した動画や関連動画】
「世話をしてやった」の謎

「世話をしてやった」の謎

※自動音声になります。苦手な方はご遠慮ください。