2020年最後のパレードです!ートラウマのあるかたへー

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2020年最後のパレードです!

今日は、2020年最後になりますので、パレードをしたいと思います。

これは、スーザンアンダーソンの、わかれからの再出発という書籍の、最終章のところにあるパレードです。

あなたは、このパレードの、どこにいるでしょうか?

では、書籍から抜粋させていただきます。

見捨てられを、秘密と沈黙のベールで、隠してしまうのではなく、その全くの、正反対にしてみてはどうでしょうか?

見捨てられを大きく掲げ、さあ、パレードを始めましょう!

このパレードの参加者は、全員、見捨てられ経験者です。
彼らは全員、負傷者のバッチを、つけることになるでしょう。

ほら、見えますか?
まず先頭は、ズルズルとボロ切れをまとった集団、メインストリートを、行進してきました。

その多くの人の中で、非常に見事な装いで、完璧なポーズをとっている人がいます。

いかにも頑丈そうです。

尊厳と勝利が、とりわけ最も傷ついた人から、感じられます。

横断幕を掲げています。

彼らは、このパレードの英雄です。
行進者の、信じがたいほどの率直さと、深遠さ、人間らしさが、群衆の心を動かし、涙を誘います。

横断幕を掲げるパレードの総指揮官、最重傷者のすぐ後ろに、登場したのは、車椅子に乗った人々です。
感情的に数々の苦難を経験し、そのせいであまりにもひどく傷ついてしまった人々。
根本的な人間関係を築くことが、できなくなってしまった人々です。

彼らの傷は、隠されていて、見えませんが、見捨てられの勲章、心の帝位を授かったのです。

そして、彼らのすぐうしろは、ごく最近、見捨てられを経験したばかりの人々です。
彼らはまだ、あまりにも大きなつらさの波に包まれ、自力で歩くことができませんから、パレードの神輿に乗せてもらわなくてはなりません。
神輿には、これらたくさんの、悲しみにくれる人々をのせ、賞賛と尊敬の眼差しで見つめる群衆の中を、進んでいきます。

見捨てられてまだ日の浅い彼らの後ろから、群衆が歩いてきます。

彼らの多くは、松葉杖をついたり、お互いに支えあったりしてます。
子供時代に見捨てられを経験し、成人後の人生をずっと、見捨てられの恐怖の中で、苦しんできた人々です。
恐怖のあまり、なけなしの安全を手放すことができず、ふさわしいとは言い難い相手に、しがみついてきた人がほとんどです。

その一方で、安定した人間関係に落ち着くことができず、人との関わりに付かず離れず、絶えず感情的混乱を、舐めてきた人々もいます。

沿道で見守る人の多くは、なぜ自分が行進者に拍手し、声援を送っているのか、はっきりわかっていません。
行進者の精神に、涙せずにはいられないのです。

沿道の人々の中には、自分自身、心に傷を負う身であることを、祝福するために、自らパレードに加わろうかと、思い始めている人もいます。
しかし、その一方で、自分のつらさに、触れる気持ちにはなれない、という人もいます。
沈黙の中から、自分のつらさを、持ち出してくることには、気乗りがしないのです。
彼らはまだ、最も深い傷を負った場所こそが、最も大きな回復の場所となることを、これから発見していく必要があります。

沿道の人々の多くは、ズタズタに、心を引き裂かれています。
自分のつらさを自覚していますが、だからと言って、他人を見捨てる、という選択肢を、自分にも求める気持ちは、ありません。

彼らにはまだ、見捨てられに対して、明確な態度を打ち出せるだけの、覚悟はありません。

受け入れがたい行為として、公然と批判するだけの、心の準備は、まだできていないのです。

中には、いつか、変われる人もいるでしょう。

もしかしたら、来年のパレードには、参加しているかもしれません。

また、後ろに下がって、物陰からひっそりとパレードを、見つめている人がいます。

それは、傷を負わせてしまった張本人です。

彼らの多くは、ひょっとしたら、何かを、行進者たちが持っているように思われる何かを、自分は、見逃してしまったのではないか、と疑う気持ちから、ほんの一瞬、足を止め、遠くからパレードを傍観しようとしたのです。

他人にひどいつらさを負わせてしまうことを、自分で許してしまうような、よくない部分が、自分の中にはあるかもしれない、という思いが、頭をよぎった人も、ひょっとしたら、いるかもしれません。

最後に、見捨てた側の中心勢力、中核派は、パレードについては全面拒否の姿勢です。

これは、自分のことを、愛してくれた人たちに、自分が負わせてしまった傷のことなど、すっかり忘れ、自分のことに専念しています。

逆説的ではありますが、実際には、彼らも、見捨てられた側の人なのです。

しかし、その経験は、彼らを、共感的にするどころか、ますます冷淡に、固く心を閉ざさせてしまいました。

このような人は、感情を抑えるあまりに、心が麻痺して、感受性が乏しくなってしまったのです。

いかがでしょうか。

そして、パレードが終盤に差し掛かるころには、総指揮官たちも、一般の参加者も一体となって、長い列となって夜まで続いていきます。

このパレードは、最も傷ついた人たちが、お互いに出会う機会です。

ここでは、多くの永久的な団結が生まれます。

お互いの愛らしさ、個性を発見します。

汚名を着せられ、振り払われるのを、拒否します。

愛情ぶかい関係を通して、お互いを癒すことを、誓います。

断じて相手を見捨てはしないことを、固く心に誓い、誠実に、献身的に尽くす能力が、彼らにはあります。

愛という最上の贈り物を、提供するということ、それは、見捨てられの恐怖から自由になるということです。

ついに、見捨てられに対する対抗策が、見つかりました。

それは、愛への献身です。

以上が、スーザンアンダーソンの、見捨てられの人たちのパレードです。

いかがでしょうか。

見捨てられや、毒親などに悩む人たちは、自分たちは最悪の環境に生まれ、そして、これからも最悪の環境でいきていくと、信じているように思います。

でも、実は、スーザンアンダーソンがいうように、自分がされたことのおかしさに気づく、ということで、このパレードに参加することになり、観衆から応援されたり、共感されることになるのです。

これは、応援されるために、このような問題に挑むというより、おかしさに気づいて、自分でなんとかしようと、思うだけでも、自分の人生を、自分の足で、歩いている証拠ではないでしょうか。

また、私たちを変な目で見る、このパレードでいう観衆も、実はそれぞれに傷ついているのに、明確な態度を打ち出せるだけの覚悟がないということで、パレードには参加しないのです。

だから、やっかみもあって、批判をしたりするのでしょう。

つまり、そのような意見を、気にするほどの存在ではないことが、わかります。

そして、物陰から見つめる、あなたを見捨てた張本人です。

それどころか、自分の問題に向き合わず、その憂さ晴らしを最も身近な人で発散をして、反省もしない人たちは、正面から、このパレードを取りやめにしようとしてきます。

そんな力は全く効かず、このパレードは、来年も、その先もおこなわれます。

あなたは、どの立場だと思いますか?

最前列の横断幕を持った人でしょうか?

もしくは、車椅子に乗った人でしょうか?

または、そのあとに続く、神輿に乗せてもらっている人でしょうか?

さらには、群衆でしょうか?

少なくとも、この動画を見ているなら、あなたは、観衆でもなく、こっそり覗く人でもなく、反対する人でもないでしょう。

ぜひ、自分の思いが間違っていると、疑いそうになったら、このパレードを、思い出してみてください。

ということで、2020年の配信は、これで終わりになります。

今年もお世話になりました。

ありがとうございます。

来年もよろしくお願いします。

では、良いお年をお迎えください。

【動画内でご紹介した書籍や関連動画】
参考図書:スーザンアンダーソンの書籍
https://a.r10.to/hVpPbk

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